亡くなった祖母から良く聞いていた関東大震災の話し。
東京が焼野原になったと。
聞いて想像していた通りの光景がテレビの画面に映し出されています。
マグニチュード8.8とは、いったいどんな規模なのか。
災害に遭われた方、お亡くなりになった方に心よりお見舞いとお悔みを申し上げます。
記録として。
私はその時間、横浜駅に居ました。
3年ぶりに以前勤めていた会社の後輩と会い、ランチをして、彼女と手を振って別れたあと帰宅するために東横線の改札に降りました。
今日は休みでクルマで川崎方面へ出かけている夫に、一応帰宅を知らせようかな?と改札の手前で電話をしました。
いつもあまり電話に出ることのない夫ですが、珍しくすぐに出てくれ、もう横浜近くのホームセンターに居るので、駅まで迎えに来てくれると言う。
じゃあ15分くらいあとに、Y-CATの入り口で、と約束しその間ちょっと服でも見ようとルミネに入りました。
フロアを1つ上がったところで、地震。
フロア全体が大きく横揺れし、天井の吊り下げ式の照明も大きく左右に揺れていました。
女性向けのファッションのフロアでしたのであちこちで女性のキャーという叫び声。
ただの地震ではないとすぐに分かりましたので外に出ようと階段へ向かいましたが、あまりに大きな揺れでうまく階段が降りられないほどでした。
ラッキーなことにすぐに屋外に出られ、そこは横浜中央郵便局の前でした。
すでに多くの人が集まっていて一様に空に視線を彷徨わせ、繋がらない携帯を操作しています。
国道を挟んだ向かい側に建設中の大きなビルがあり屋上のクレーン2基が、まるで遊園地のアトラクションのように揺れていて、今にも折れて落下しそうで、地震が続いていて怖いのに目が離せませんでした。
ずいぶんと長い間揺れていましたが、やや収まり、時計を見ると15分経過していました。
相変わらず携帯は通話もメールも通じませんでしたが、夫との待ち合わせ場所へ向かうことに。
建物の中を通らねばならなかったので怖かったのですが、思い切ってドアを開けて建物に入ると、中の飲食店はみなシャッターを降ろし終わるところでした。
再び地上へ出るとすぐに待ち合わせ場所。夫の運転する白いジムニーがすぐに角を曲がって現れてくれ、心底ほっとしました。
自宅までの約4キロほどの道のりでも、クルマで走っていてもはっきりわかる揺れを何度も感じ、留守番させている犬たちが心配でした。
帰宅すると1階に居たルーとグーが、明らかにいつもと違う様子で飛びついて来て、その後側から離れようとしません。
2階で寝かせていたビーは…
ぐっすり寝ていました。大物です。
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駅の改札で夫に電話をせず、電車に乗っていたらそのまま電車に閉じ込められ、しばらくは身動き出来なかったでしょう。
帰路の道路もまだ空いていたのですぐに帰宅出来ましたし、本当に幸運でした。
夜は夫が不在でしたので、急いで食料や犬の餌、水などを詰めた避難リュックを作り犬たちと2階へ移動し服を着たまま布団に入りましたがときたま弱い地震が来て、ほとんど眠れませんでした。
今もテレビでは信じられないような映像が映し出されています。
どうか被害がこれ以上大きくなりませんように。